Interview

【インタビュー】株式会社青粒 代表取締役社長 永原 豊大(ながはら ほうだい)氏に聞く!代々受け継がれる“健康オタク”がモロヘイヤを大切にするワケとは?

「緑の野菜いいよね」とか「身体にいいよね」くらいしかわかっていなかった「モロヘイヤ」。独特なぬめりがあることから、苦手意識のある人も多い野菜ですが、実は食物繊維が豊富で、腸内環境を整える水溶性と不溶性がバランスよく含まれている野菜なのです。
今回はモロヘイヤのことや「あおつぶ」ができたストーリーを、詳しくお聞きしました!

【お話を伺った人】

株式会社青粒 代表取締役社長
永原豊大(ながはら ほうだい)氏

2019年に会社の2代目として代表取締役社長就任。
「あおつぶ」のリブランディングに関わり、モロヘイヤの良さを継承している。

【あおつぶHP】
https://aotsubu.co.jp/

Q.ご自身の子どものころは、どのような食生活だったのですか?

永原さん:「株式会社青粒は1991年の創業、32年経ちますが、私の母親は40年以上前の、私が生まれた時から、食べるものにめちゃくちゃこだわりがある人で。スーパーで買い物をする時は全部裏面をチェックして、「この添加物は絶対食べたらダメ」とか「コーラは飲んだらあかん」「かき氷は、特別な日だけみぞれはOK」という教えのもと、過ごして来ました。日頃から健康にこだわっていましたし、僕は身体が弱かったので、余計かもしれないですけど、めちゃめちゃ気を遣ってくれていました。料理もとにかく薄味で、正直美味しくはなかったです。母は、塩分を摂りすぎると身体に良くないから、と言っていました」

筆者:「まさに健康オタク!でもそれは、お母さまに何かきっかけがあったのでしょうか?」

永原さん:「それは僕も同じことを思って、聞いてみたんです。でもその答えは、母も即答できなかったんです。疑問が解決せず、母が母の兄弟姉妹4人で話し合ったところ、祖母の影響だということでした。
戦後すぐ、祖母は4人を育てあげたんですが、その時から勉強をしていたようです。そして日々の食生活に活かして、子どもに添加物のことを話していたみたいです。その影響は大きいと思いますね。ちなみに、祖父は味が薄いとよく怒っていたそうですが、祖母は薄味を続けて99歳で亡くなりました。子どもに対して健康でいてほしいと願って、それが伝わり、僕らは3人兄弟ですけど、それがまた受け継がれている感じです。
その背景には多分、曾祖母がいると思っています(笑)」

筆者:「会社だけでなく、健康を気遣うことは、代々受け継がれているんですね」

永原さん:「元祖健康オタクみたいな感じかもしれないですね。弁当ひとつでも、地味すぎて恥ずかしくなるくらい色味のないものでしたから。みんなカラフルで、うらやましかったですけど、今思えばいい内容のお弁当ですよね」

Q.お母さまがモロヘイヤにハマったきっかけは、なんだったのでしょうか?

永原さん:「33年ぐらい前、父の島根県の親戚からモロヘイヤの食品が送られてきたんです。まだモロヘイヤがブームになる前です。島根県で、先にモロヘイヤがざわついていたそうで。すごい野菜がある!と。モロヘイヤを練り込んだお蕎麦や、カンパンのようなお菓子、粉末など様々な形で届いたんです。それを食べてみると、早速お通じを感じたそうなんです。特に、母は便秘でずっと薬を飲んでいたのですが「初めて薬以外の食品で体感があった」と感動したのがきっかけですね。しかも栄養価も高いので、多くの人に広めたいと、事業を立ち上げることになったんです」

筆者:「お母さまが会社を始めたのですね!」

永原さん:「当時は父がサラリーマンだったので、母が1人で自宅のリビングに電話線を引いて、自分たちでチラシを作り、近所にポスティングをするところから始まったんです。僕もそれを手伝っていました」

Q.あおつぶを製造するのに、苦労している点は何ですか?

永原さん:「あおつぶには、粒を固めるための粘着剤や、製造機械の滑りをよくするための賦形剤など、添加物は一切入れておりません。100%自然のもので仕上げているので、特に夏場は湿気の問題で小まめに清掃をするなど、やはり苦労はあります」

筆者:「そのようなものに頼らず、100%モロヘイヤで作られている努力は、代々受け継がれている健康オタクの心ですね!」

Q.今まで、上手くいかなかったことはありましたか?

永原さん:「1991年創業で、10年くらいは順調な経営だったのですが、その後傾いたんです。その理由は3つあって、1つはモロヘイヤのブームが去ったこと。売れなくなって農家がモロヘイヤを作らなくなったんです。2つ目は健康食品の競争が激しくなったこと。DHCさんやファンケルさん、サントリーさんなど、消費者がモノが溢れすぎて何を選んだらよいのかわからない時代ですね。3つ目は、いろんな広告を辞めたことですね。広告は小規模になりましたが、良いものを作り続けて親子二代で長く愛用してくださる方や、愛してくれるお客さんがいらっしゃったのでなんとか続けることができました」

筆者:「そこで、会社をなんとかせねばと、いろいろな事業を立ち上げたわけですね」

永原さん:「はい、社員さんや家族がいるので、何とかせなあかんと。父は健康食品だけでは厳しいと判断し、LEDの照明事業、蓄光塗料の会社を買収、水素水専用のウォーターサーバーを始めたり、コーヒーの焙煎事業もやりました。父はもう、アイディアマンと言うか商売人だなと。2017年まで、いろいろ挑戦したんですけど赤字が増えてしまいました。
そのころ、僕も会社の経営に入り、2018年ごろから、まずはあおつぶのお客さんに会いに行くことを始めたのですが、ハードルが高かったですね。家のピンポンを鳴らすのもビビッて辞めたこともありました。でも、100人以上に会うことができて、お話を聞くと、僕が想像していた以上に、あおつぶがお客様にとって本当になくてはならないものになっていて、喜ばれたんです。
そこで改めて、父と母がやってきたことの偉大さを感じ、僕もこれからこんな風に喜んでくださる方を増やしていきたい!と強く思いました。始めは普通の会社に就職したのですが、会社が上向き始めた時に父が上京をして「お前は、社会に出て就職して1から経験を積んで人脈広げて頑張っているけど、俺の経験や人脈を使ってもっと大きなことを一緒にやらないか?」と言ってくれたんです。そう言ってもらえたことが嬉しくて、決心をして戻りました」

筆者:「お客さんの声と、お父さまのその思いと、いいものを作っているという自信があるから、頑張れますね!」

永原さん:「はい、僕だけの力ではなくて、周りの仲間がいてこそでしたね。絶対に、お客様に会いに行った方がいいとアドバイスをもらえたことが良かったです」

筆者:「これからもがんばってください!ありがとうございました」

《取材後記》

あおつぶが、家族やお客さまを繋いで、健康でいたいというブレない目標に向かって努力をされているなと感じました。私が毎日、アクティブに活動ができるのも、あおつぶのおかげかなと、愛着が湧いてきます。

【永原さんの、マイルールはこちらから】


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PROFILE
merrily編集部 エディター&ライター / 森岡 陽子
merrily編集部 エディター&ライター / 森岡 陽子
1974年生まれ。2人の大学生の子どもを持つ母。不器用ながら「努力と根性」で女性誌 のライターを10年以上経験、これからは軽やかにライフスタイルのお役立ち情報を発信で きたらと思っています! 「桃子俱楽部」オンラインサロンで、スキンケアやメイクを勉 強中、好きなことにはトコトン突き進むタイプ。
著者のウェブサイト:https://www.instagram.com/__yokom_